
ふるさと雇用再生特別事業と販路コーディネーター資格試験
2010.04.21
街づくり(地域活性化)
地域ブランド商品の開発は有力な地域活性化政策であることは、一村一品運動で名を馳せた大分県のみならず、日本の各地、さらに世界各国でも実証されていることだ。
「ふるさと雇用再生特別事業」をご存知の方は少ないと思う。
現在、政府は地域活性化に向けて、地域ブランド商品の開発・販路開拓事業、旅行商品を開発する事業、高齢者宅への配食サービス事業 等々、地域ニーズがあり、かつ今後の地域の発展に資すると見込まれる事業で事業継続が見込まれるものについてはその事業を行う企業について助成を行っている。
地域ブランド商品の開発(特産品の開発育成)・販路開拓事業を行う企業には国から助成金が支払われるのである。
私の地元・滋賀県長浜市木之本町に、第3セクター方式で株式会社ふるさと夢公社きのもとが設立されている。
地域活性化を目的にして旅館・料亭事業とリゾート事業を行っている。
この鰍モるさと夢公社きのもとが、昨年、地域ブランド商品の開発をすることで「ふるさと雇用再生特別事業」を受託した。
私は昨年からこちらの会社で物販事業部長を拝命して、地域ブランド商品の開発(特産品販路開拓)等の仕事を行っている。
現在は入浴剤、炭 等を売り出そうと懸命に努力しているところであるが、ただ、その方面のネットワーク(人脈)を余り持っていない。
そんなことから、過日、ネットワークを作りたいと思い、社団法人日本販路コーディネーター協会が主催する販路コーディネーター資格試験を受験した。
1級から3級まで3段階あるのだが、いきなり1級を受験できないとのこと、しかたなく3級の試験を受けた。
マーケティングが主な内容でその基礎知識を確認する比較的平易な試験内容であった。
今回無事に合格させていただいたが、今後さらに2級、1級と受験して行きたいと思っている。
次回は今取り組んでいる薬草入浴剤について詳しく述べたい。
街づくりと滋賀県・木之本町の紹介
2010.04.14
街づくり(地域活性化)
今から20年ほど前の竹下首相が提唱し、基本政策とした「ふるさと創生一億円事業」をご存知の方はいるだろうか?
首都圏への一極集中を改め、地方分散、地方の地域づくりを旨とするものである。
そのために地方が自ら考え自ら地域づくり事業を行うために、地方交付税を1市町村あたりに一律に1億円を配分した。
配分された総額は3100億円にも達したと言う。
先週述べた「一村一品運動」も、この政策も確かに地方の活性化、村おこし・街づくり活動活況のきっかけにはなったと思う。
私のふるさとは滋賀県長浜市木之本町で、びわ湖最北端に位置する。
限界集落(50%以上が65歳以上の集落)が点在する過疎化の代表的な地域であり、村おこし・街づくりが必要とされている地域である。
今回はこの紙幅を借りて滋賀県と木之本町のご紹介をさせていただきたい。
滋賀県に対する認知度は全国的に見てかなり低い。
まして木之本町は誰もご存じないし、長浜市ですら知っている方は少数派であろう!
先日新聞に滋賀県の認知度について書かれた記事を見た。
滋賀県に関連する項目で認知度が高かったのは、
1位は「びわ湖」であった。
ほとんどの方はこの湖を知っておられるようである。
2位は「近江」で近江牛、近江商人の認知度は高かった。
でもそれ以外は認知度がぐ〜んと低くなってしまう。
しかし、滋賀県は特に古代から中世にかけては歴史を左右する舞台でもあった。
一時期、都が置かれたこともある(紫香楽京、大津京)
中世代では近江源氏と呼ばれた佐々木氏(六角氏、京極氏)が都に近いこの重要地を治め、幕府(鎌倉・室町)に対して大きな影響力を持っていた。
戦国時代末の寵児とも言うべき織田信長は、居城を岐阜城からびわ湖の湖東・安土に移し、絢爛豪華な城を築いて、全国統一(天下布武)を夢見た。
しかし、明智光秀の謀反により本能寺の変で信長は無念の死、さらに天王山の戦いでその光秀は羽柴秀吉に敗れ去った。
その後、天下取りの戦いと呼ばれる賤ケ岳の合戦で秀吉は柴田勝家を降し、全国統一の道を進むのである。
この賤ケ岳の合戦では、加藤清正、福島正則等の若武者は七本槍と呼ばれ、その名を轟かした。
賤ケ岳はシズガタケと読み、木之本町のびわ湖側にある小高い山(400m程)である。
木之本町は北国街道の宿場町として、又、木之本地蔵(日本3大地蔵尊)の門前町として発展した街である。
石道寺、己高閣、医王寺、観音寺と言ったお寺には重要文化財の11面観音菩薩が納められている。
観音の里としても知られている土地であり、山々は僧たちの修験霊場でもあった。
地図には琵琶湖の上(北)に豆粒のように描かれている余呉湖(周囲7Km)があり、羽衣伝説が言い伝えられている。
又、少し昔の巨匠作家である、泉鏡花の「夜叉ヶ池」、井上靖 の「星の祭り」、水上勉の「湖の琴」等の舞台にもなった地域でもある。
是非一度、びわ湖の最北端の木之本にお越しいただきい。
一村一品運動と一店逸品運動
2010.04.07
街づくり(地域活性化)
今回から村おこし・街づくり(地域活性化)について述べて行きたい。
先日、新聞名は忘れたが、小さな記事で「中国は平松守彦氏(元大分県知事)を表彰」と報じていた。
中国の地域活性化に貢献したことでの表彰であったと記憶している。
平松元大分県知事と言えば、すぐに「一村一品運動」が思い浮かぶ。
「一村一品運動」とは1980年から大分県で始められた村おこし・街づくりの活動である。
文字どおり、一村でとにかく一品を日本全国に通用する、さらには世界に通じるものを作り出そうと言う活動である。
世界に通じる only one の商品を地域のみんなで考え作り出し、その活動を通じて地域活性化に繋げようとするものである。
この活動の結果、大分県内ではシイタケ、カボス、ハウスミカン、関さば、大分麦焼酎など全国に通用するブランドが生み出された。
生産額は総額で1400億円にも達している。
これによる雇用創出を初めとした地域経済効果は生産額の何十倍にも膨らんだと思われる。
「一村一品運動」は海外でも評価され、東南アジアの経済発展途上国(タイ、ベトナム、カンボジア等)、そして中国で地域活性化の有力手法として導入された。
タイ、中国等では平松守彦氏を表彰し、その功績を称えている。
日本でもこのような「一村一品運動」は大分県以外の各地で取り組まれたが、その発展形とも言うべき商店街自身の活性化策として「一店逸品(いっぴん)運動」も発生した。
「一店逸品運動」とは商店街の各お店は、自店が自信を持って売れる商品、すなわちonly one 商品を作り出し各店が責任を持って売り出そうとする運動のことである。
商店街の昔の賑わいを取り戻し蘇らせようとする活動で、中心市街地を活性化する政策として進められた。
静岡市呉服町名店街が「一店逸品運動」発祥の地である。
この活動も日本各地に広がって行き、中心市街地活性化政策の代表的有力手法となって行った。
「一村一品運動」はこの種のパイオニアであり、発想のクリエイティブさは偉大だと思う。
ただ「一村一品運動」は行政が中心になり進められた政策であり、住民の活動に対する主体性が弱く、活動の広がり、継続性に限界があったように思う。
「一店逸品運動」は、主体性は商店街すなわち住民が持っていた。
住民が問題意識を持ち、自主的に主体性を持ち取り組まれた運動で、行政からの応援を余り期待していなかったように記憶している。
正にこの種の発展形にふさわしい活動だったと言えよう。
村おこし・街づくりは
住民が中心!
行政が欠かせない支援者!
やる気がなければ発展しない!
街づくりは街なおし!
2009.10.13
街づくり(地域活性化)
今回は少し目先を変えて、「街づくり」について述べたい。
「街づくり」とは“ 街なおし”とも“街の復旧”とも言われる。
文字を見ていると新たな施設建物や道路を作って、新しい街を作っていくのだと思いがちなのだが、「街づくり」の本質は、街が賑やかだった頃に街を復旧させることなのである。
賑やかさを失った街、さびれた街を歩くとき、一種の寂しさを感じるものである。
特に昔の賑やかだった頃を知っている場合は言い知れない寂寥感に襲われる。

それに比べ、にぎやかな人波のある街はなんとなく楽しさに溢れている。
各店にも活気が満ちており、それだけでもウキウキする気分になる。
結局、人間は大自然も好きなのだが、それ以上に人間自身が大好きなのである。
にぎやかな街、活気ある街が大好きなのだ。
特に街の中心市街地はにぎやかさを創出するべき場所である。
古今東西、中心市街地のにぎやかさが無く発展した街は皆無と言って良い。
街の形成には1つのパターンがある。
人々は住みやすい場所を求めて住むようになると、徐々に集合化されてくる。
そうすると必ずその中心になる場所には店がつくられるようになる。
さらに住むひとが増えるとその中心地には店が増加される。
人口増⇒店舗の増加⇒人口増⇒店舗の増加 と言う増加の連鎖が起きるのである。
これが街の形成パターンであり、中心市街地の形成パターンである。
しかし中心市街地に店が作れないような法規制が発生すると、この連鎖が逆の連鎖となり、店舗の減少⇒人口減⇒店舗の減少⇒人口減 となる。
現在の各地方の中心市街地の衰退、街の衰退、過疎化は、このような地方行政の失政によるところが大きい。
「街づくり」はいかに中心市街地の賑やかさ、活気を取り戻せるかがキーポイントなのである。
参考:「中心市街地活性化のすすめ」(中心市街地活性化関係府省庁連絡協議会)