革新的企業観の確立
2010.07.20
経営学
前回の後半で、日本の企業観と実際の企業経営の方向性にはズレが生じていると述べ、この「ズレの解消」にこそ革新的な経営スタイル確立の可能性が潜んでいると述べた。
まず企業行動は法規制に沿わざるを得なく、アングロサクソン型にならざるを得ない。
法規制も今後はダイナミズムな企業家精神を取り戻すものとなるような改正に政府は努めると思われるが、現状はJ-SOX法の下での企業行動とならざるを得ない。
この企業行動に魂を入れるのである。
すなわち企業観、企業活動の哲学、企業の経営理念をいかにするかである。
それはやはりライン型に徹するべきと思う。
月並みな言い方ではあるが
「会社はみんなの役にたっているから存在価値があり、社会システムの中で活動ができる」
要するに、企業のアイデンティティを人々が認め支持をし、必要性を感じるているから企業活動ができるのだと言える。
企業はみんなのもの!すなわち「企業は公器」とのテーゼは真理なのである。
以前のブログの中で「今、世の中は社会が企業の存在価値を評価して、社会の将来にわたるパートナーとして、社会自らが企業を選ぶ時代になりつつある」ことを訴えたことがある。
だから現在の世の中に沿った企業経営とは、正にSCR思想を尊重した、ライン型思想の企業経営をすることだと言えるのである。
企業経営の哲学はライン型で行動はアングロサクソン型と言う相反するものの統合、すなわち正・反・合のアウフヘーベン(止揚する)なのである。
これにより、アメリカ及びヨーロッパに存在しない日本固有の革新的な経営スタイルが確立できるのである。
是非、早期確立を果たしてもらいたいと念ずる。
最後に蛇足ではあるが、CSRが社会の持続可能な発展のために企業がとるべき社会的責任と言うのであれば、まず社会を構成する人間が持続可能な発展をすることが大前提であると言える。
となるのであれば、少なくとも企業としては、その企業で働いている従業員がワクワクする仕事、働き甲斐を感じる仕事であるようにすることが、企業が最初にとるべきCSRであると言える。
従業員に対して教育投資が充分であるか?
人事施策が適正に運用されているのか?
福利厚生も適正なのか?等々
をチェックし、それぞれを満たし、良い会社だ!働き甲斐のある会社だ!と従業員が感じる会社づくりをすることが企業のCSR思想実践の第一歩と言える。
経営者の努力奮闘に期待する。
日本の企業観と法規制のズレ
2010.07.13
経営学
前回のブログで述べたが、日本の企業観はライン型(ヨーロッパ型)と呼ばれる“多元的用具観”又は“独立制度観”の考え方が強いと言われている。
一方、ビジネス社会における統制ルール(法規制)についてはどうであろうか?
日本は法改正の中心となる官僚や学者の多くがアメリカ留学経験者であり、立法府の国会議員もアメリカ留学経験者が多いため、日本の法律はどうしてもアメリカの影響を受けた内容になってしまう、と言われている。
ご存知のとおり2006年5月1日に会社法が施行され、その1ヶ月後の6月7日には金融商品取引法が成立し、J-SOX法の規制の下で現在企業統治がされている。
投資家保護の為に過酷なまでのリスク管理体制が徹底され、企業は高コスト構造に陥る要因となっており問題点もささやかれている。
すべてアメリカの法律に倣ったものであることは確かである。
要するに日本の法規制はアングロサクソン型、アメリカ的であるが、人々の企業観はライン型、ドイツ等のヨーロッパ的なのである。
すなわち経営活動の本質的捉え方・思想と現実の経営実務における法規制とは、ズレが生じているのである。
確かに企業経営における出資者・株主は自己投資のリターン増大に血眼になる。
具体的に言えば経営者に対して企業価値向上、すなわち利益率の高い業績をまず求めるであろう。
経営者が高邁な思想、企業の社会公器説をいくらぶっても、過去に流行った表現を借りれば、株主は「それを右から左へ聞き流す」ことになるであろう。
日本の伝統的な企業観と実際の企業経営の方向性にはズレが生じざるを得ないのである。
ただ「ズレ」は新しく革新的なものを生むきっかけになる可能性がある。
「ズレの解消」の中に革新的な本来あるべき経営スタイルが潜んでいるのかもしれない。
まず企業行動はどうしても法規制に沿わざるを得なく、アングロサクソン型にならざるを得ない。
数年前からの株式持合いの復活、自己株買い等の資本政策はこの法規制のリスクを軽減する行動であると言える。
ただ、かつての銀行を中心とした株式持合いのころと比べ、時代は様変わりしている。
投資ファンドが幅を利かせ発言力を増してはいるが、それよりも個人株主の増加が顕著で、株主総会においては個人株主の積極的な発言が目立つようになってきている。
このことは、買収ファンドがもつ思想のアングロサクソン型を嫌い、日本の伝統的経営思想・考え方の個人株主が危機感を持っている結果であると思われる。
このような企業行動に魂を入れるのである。
この件については次回にゆずる。
各国の企業観と日本の企業観
2010.07.06
経営学
今回からは以前から温めていた経営学・企業観について述べさせていただく。
経済学での「企業」は「家計」「政府」と共に、マクロ経済における3つの主体の一つとして論じられる。
「企業」は投資を行いモノを生産する主体であり、従業員に労働の対価として所得を与える主体でもある。
経済学ではこの3つの主体をモデル化して経済現象を説明しようとする学問であるが、経営学では経営の現場で起きている現実の事象を研究対象としている。
経営学においては昔から、企業とは何か?企業の目的は?企業は誰のもの?等々の論議が行われてきた。
企業観と呼ばれる論議である。
現在の企業観において素朴な疑問を挙げるとするならば、
「企業とは、企業経営に日々汗水流して活動している経営者&従業員達のものではなく、投資の対象としてリターンに血道をあげている投資家・株主のものである」
とされることだと思う。
この疑問に対しては
「株主は企業のリスク負担をしている。
そのおかげで企業はその生命線とでも言える研究開発投資等を行うとき資金調達ができるだろうし、もしも事業活動の結果において利益が出ず欠損を発生させたとしても、経営者と従業員の生活および仕事は支えられ、事業活動は続けていけるであろう。
株主が持つ取締役選任・解任権、定款変更等の決議権はそのリスク負担に対する株主自身の負担軽減のために付与されている。
企業が株主のものであるから経営者と従業員は安心して働けるのである。
だから企業は株主のものであると言える。」
と説明をされるのかもしれない。
以前、日経新聞のゼミナール欄で、世界の企業観について分かりやすく分類された記事を興味をもって読んだことがある。
タイトルは“新時代の企業統治”で神戸大学経営学COE企業統治グループが執筆されていた。
企業観というものは各国により大きく異なる。
分類すると2つに大別される。
1つは“独立制度観”と言われるもので企業がそれ自体としての存続意義をもつ社会制度と考える。
この考え方では企業は誰のものでもない、公器と考える。
もう1つは“企業用具観”と言われるものである。
この考え方はさらに2つに分けられる。
その1つは“株主用具観”で、会社は株主の用具すなわち会社は株主のもの、株主主権を主張する考え方である。
アメリカ、イギリスで定着した考え方でアングロサクソン型と呼ばれる。
もう1つは“多元的用具観”で、会社は多様な利害関係集団の共通の用具と考えるもので、ドイツ等のヨーロッパで定着した考え方でありライン型と呼ばれる。
日本はドイツ等のヨーロッパと同じで“多元的用具観”、又は“独立制度観”の考え方が強いと言われており、ライン型の方に分類されている。
20世紀後半、日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称賛されたころは、日本経営の3種の神器(年功序列、終身雇用、企業内組合)と共に、このような日本の企業観が経営の強さの基礎になっていると言われていた。