
経済学とは(5):シルビオ・ゲゼルの経済学
2009.12.29
経済学
今年も残り3日となった。
当ブログを始めさせていただいたのが5月であった。
ついこの前にスタートしたと思っているのだが、すでに8ヶ月が過ぎ去っている。
確かに年齢を重ねてくると時の過ぎるのは早くなる。
これは脳の記憶力減退が時間経過意識を希薄にするための現象だと思う。
今後益々早くなっていくのであろう。
時間を大切にして充実した日々を過ごしたいと思っている。
「お金」について少し考えてみたい。
日本の最古の通貨はご存知のとおり和同開珎である。
貨幣経済の始まりであるが、「お金」の役割である価値尺度、交換手段、貯蓄手段 等が果たされて、それまでの時代と比べ飛躍的に経済は発展していった。
経済が常に成長し増殖する宿命を持つようになった理由を利子の存在に求める学者がいる。
利子はちょうど錬金術に例えられると言うのである。
確かに年利率1割の複利計算で行くと、12年後には元本の2倍超の利息が得られることになる。
利子が付くために12年後には元の2倍以上の経済が新たに生まれ、経済拡大が起きるのである。
シルビオ・ゲゼルは利子ともインフレとも無縁の「お金」を提唱した。
『自然界にあるものはすべて時間と共に老化していく。それなのに「お金」はなぜ不滅なのか?』
このことを解き明かすことにより経済的矛盾を解明しょうとしたのである。
ゲゼルのテーゼは
『「お金」は老化しなければならない。
貨幣制度と社会秩序は相関関係になければならない』
である。
これにより不況の原因である貨幣の溜め込み、貨幣の非循環が解消できるとした。
「お金」を一部の人の独占物にしてはならないと言う。
又成長し続ける貨幣経済は自然環境を破壊し続けるが、「お金」を老化させることにより、環境を犠牲にする経済の成長に歯止めをかけることができるとした。
地域通貨(コミュニティー通貨)は機能を交換機能のみに限定した通貨である。
利子の概念はなく、持っていると価値は老化する(減少する)通貨なのである。
だから貯蓄すると逆に価値は減少していき、ついには0になってしまう通貨なのだ。
このような地域通貨は日本では、10年以上も前にNHKの「エンディの遺言」と言う番組でゲゼルの思想が紹介されてブームになった。
現在、各地で地域通貨の取り組みが行われているが、その目的どおり機能しているところは少ないように思う。
今、環境問題は人類の存亡をかけたテーマとなっている。
現在の資本主義経済概念と全く違うゲゼルの経済概念は、今だからこそ光り輝いて見え、必要とされているように思えてならない。
経済学とは(4):現在の経済活動とその犠牲
2009.12.23
経済学
前回のブログでは経済学の大御所はマルクスとケインズであると述べ、マルクス経済学の崩壊について話させていただいた。
マルクスの大きな誤りは資本主義を変えようとしなかったこと、国家に資本主義を任せようとしたことにあると言える。
つまりケインズ経済学は民間資本主義であり、マルクス経済学は国家資本主義であると言え、どちらも資本主義のシステムでしかなかったのである。
ただマルクスはそれまでの経済の仕組みを批判する概念自体を作ったことは確かである。
現在はご存知のとおり、グロバリゼーションであり、世界規模での経済システム・金融システムが出来上がっている。
このシステムでは国や企業の競争を強いる性格を有していて、消費し成長しなければ機能しない仕組みとなっている。
又、デリバティブと呼ばれる多くの金融商品も開発されて、お金自体が商品になっている経済なのである。
世界の実態経済は拡大の一途をたどっている。
そしてその犠牲となっているのが自然と第3国(未開発国)なのである。
日本の材木輸入に関してこんな話がある。
あるマレーシアの人の話である。
「日本はあれだけ材木を輸入する国だから日本の山は禿山ばかりで木は植わっていないと思っていた。だが、実際日本に来てみると山は青々としていて沢山の木があり、自国より多いと思われる程であった。裏切られた思いであった」とのこと。
シルビオ・ゲゼルをご存知だろうか。
現在の金融システムの矛盾に気づき、独自の経済学的観念で経済理論(金融理論)を展開したドイツの経済学者である。
ケインズは「後世の経済学者はマルクスよりゲゼルからより多くを学ぶであろう」と言っていたとされる。
ゲゼルは「自然界にあるものはすべて時間と共に老化していくのにお金のみ、なぜ不滅なのか?」を解き明かすことで経済的矛盾を解明しようとした。
ゲゼルの話は紙幅の関係で次回にさせていただく。
経済学とは(3):マルクス経済学の崩壊
2009.12.15
経済学
前々回のブログで簡単な経済学の沿革について触れさせていただいている。
経済学の黎明はアダム・スミスの国富論だとされているが、やはり経済学の大御所はケインズとマルクスだったと言える。
ただマルクス経済学は東(ソ連邦及び東欧)の崩壊で消滅したと言って良い。
初めてマルクス経済学の必要労働時間、剰余労働時間について、その考え方を聞いたときはとても納得感があったことを覚えている。
例えば資本家が2億円の資金で事業を始め、1億円を設備投資に使い、残りの1億円を労働の確保(従業員の給料)に使ったものとする。
当然、資本家は事業投資全額の2億円の回収を目指しがんばり、さらにそれ以上の収益をあげようと努力をする筈である。
そしてそこで働く従業員にもそのことを求め、働かせようとするのである。
この資本家がとる行為は資本主義経済社会での当然の行為であり、このような起業家精神、競争への努力が効率よい経済社会をつくる原動力とされるのである。
しかし、労働を提供する側から考えてみると少し不合理なことに気がつく。
資本家は労働確保には1億円しか使っていないのに、労働者はその倍以上(2億円以上)の仕事を要求されていることになる。
労働者にとっては1億円で使われているので1億円の労働を提供すればよい筈である。
必要労働時間とは資本家が提供した金額に見合った労働を提供する時間を言い、剰余労働時間はその時間を越えた労働時間を言う。
すなわち労働者にとって剰余労働時間は資本家に搾取されている部分であり、資本家を太らせるために働いている時間だと言える。
かつて日本では必要労働時間は1時間46分で残りの6時間14分は剰余労働時間になっていると聞いたことがある(1日8時間労働として)
このような矛盾を、多くの個人企業家の代わりに、唯一の企業家として国家を立てることにより、解消できるとマルクスは考えた。
そしてその社会こそ資本主義の問題が解決でき、ユートピア社会が誕生すると考えたのである。
資本主義社会が成熟した次の社会であるとしていた。
しかし現実は貧しい農業国が暴力的な方法でこのような社会主義の国をうち立てて行ったたのである。
そして、この社会では特権階級が生まれ、それを維持するための恐怖政治、反政府者の大量虐殺等が行われ、しかもコスト高で非効率な経済社会でしかなかった。
歴史が証明するようにマルクス経済学は社会科学には適合しなかった理論だといえる。
経済学とは(2):社会科学の難しさ
2009.12.08
経済学
経済政策とは、現状の経済状況を鑑みて政府と中央銀行(日銀)が打ち出す政策のことである。
政府が経済政策を打ち出す時、通常は経済の学者ブレーンが存在しておりその果たす役割は大きい。
小泉政権下では竹中平蔵慶応大学教授は自ら総務相となり経済政策を立案して執行していた。
前回も述べているが、「経済学」は社会科学分野の学問である。
自然を対象にした自然科学と違い、人間社会を対象にした学問で、起きている現象を説明することに重点が置かれる。
実証主義学問だと言えるのである。
だから過去に起きた経済現象は説明でき、同じような状況下においてはある程度効果的な経済政策を打つことができても、それが決定的有効な政策とはなり得ないのである。
又、経済の構造的変化により起きる全く新しい経済変化、経済的危機においては既存の経済学は無用の長物になる。
その起きている現象を説明するには新しい経済理論を待たなくてはならない。
このようなことから新たな経済思想、経済理論は経済的危機から生まれるものだと言える。
1929年の世界大恐慌においてはケインズ理論が認められ乗数理論の正しさが確認された。
1980年代のスタグフレーションにおいてはサプライサイド経済学、マネタリズムが生まれ、貨幣錯覚、ラッファーカーブ等のセオリーが認められた。
ただ、世界大恐慌において米国のルーズベルトが打ち出したニューディール政策はケインズ理論を知って行ったものではない。
又、その時日本も高橋是清はケインズ的財政政策(公共投資と減税)を行ったが、彼もケインズ理論を知って行ったわけではない。
又、1970年代から1980年代にかけてのスタグフレーションにおいては、米国のニクソン政権、レーガン政権で、イギリスのサッチャー政権でフリードマンのマネタリズムは公式の政策となった。
しかしこれらの政権においてフリードマンの政策はことごとく失敗に終わり政権の政治生命を危険にさらすことにまでなった。
学問としての経済学はアカデミカルでロジカルではあるのだが、実体経済の世界では経済学のセオリーどおりに展開されるとは限らないのである。
人間社会を研究する社会科学の難しさを感じる。
経済学とは(1)経済政策検証の難しさ
2009.12.01
経済学
今回からニューカテゴリー「経済学」で述べさせていただく。
社会科学分野の代表的学問の一つとして「経済学」を挙げることができる。
「経済学」は「マーケティング」と比べるとアカデミックな要素が強く、よりロジカルな学問だと思っている。
理数科系の学生が好む学問だと思う。
「経済」の語源は中国の古典の「経世済民」(世の中を治め民衆を豊かにする)である。
又、英語の経済学「economics」はギリシャ語の「oiconomy」(共同体のあり方)からきていると言われている。
要するに「経済」とは、特定の人を対象にするのではなく、広く国民みんなの暮らしを豊かにすることを研究する学問だと言える。
経済学の黎明は、アダム・スミスが著した国富論からだと言われている。
アダム・スミス、セー等は、「競争が生産性を上げる」として、利己心、見えざる手、レッセフェール(放任主義)等をキーワードとして理論展開をした。
その後、カール・マルクス、ジョンメイナード・ケインズ、ミルトン・フリードマン等経済学の巨匠が現れ学問は進展した。
現在の経済学はミクロ経済学とマクロ経済学の2つのカテゴリーに分けられている。
その一つの巨視的で経済全体を見るマクロ経済学では2つのモデルがある。
ケインズ・モデルと新古典派モデルであり、双方にはいくつかの相違点がある。
11月28日(土)のテレビ番組(日本テレビ系)で竹中平蔵教授(元総務相)と亀井静香現金融・郵政担当相が激論を戦わせていた。
郵政民営化についての論戦であったが、その中で経済の現状についてのバトルも繰り広げていた。
現状の経済の低迷混迷の原因は論戦相手の失政にあると言うのである。
経済政策の検証では景気対策がどのくらい経済に好影響を与えたかと言う乗数効果の大きさを調べる必要があるが、実際は正確な把握が実に難しい。
財政政策で景気が上向かなかったとしても政策発動がなかったら経済はもっと悪化していたかもしれないのである。
又、当然経済活動は過去から未来へ継続しており、現在の経済状況は過去の政策の結果であり、現在は未来へ繋がるのである。
だからお互い、経済の低迷混迷の原因を相手方の失政として決め付け、持論正論の展開が堂々とできるのである。
改めて経済政策の検証の難しさを感じた次第である。